「人事を制する者は経営を制す」

九州吉野ヶ里遺跡に行ってきました。


GWの休暇を利用して、「日本の働く」の原点を探りに九州吉野ヶ里遺跡に行ってきました。

この遺跡は、日本に農耕が広まった紀元前5世紀ごろから始まる弥生文化
の遺跡であり今の日本というクニ柄の原点でもあります。
「魏志倭人伝」に載る、邪馬台国の生活様式や集落の構えが、
そっくりなことでも注目を浴びる。


SA3C0121.jpg

多摩大教授の田坂広志さんが、ヘーゲルの弁証法から文明は、螺旋的発展に進化すると
唱えています。もし、この理論が正しいのであれば、この2千5百年前の
我々の先祖の行動は、私たちの「日本の未来の働くを創造する」という命題に
確かな方向を示してくれる。

貨幣経済が、生まれる前まで、人間にとって働くとは、喜びであったということ。

日本が縄文時代の狩猟採集による文化から脱却し、より豊かに生きるためには、
一人ひとりが力を合わせることが必要であった。この遺跡の大きさ、作り上げた
物やその生活様式をみて我々先祖の労働観が痛いほど分かります。
土地を耕し、農作物を保存する高床倉庫などの建物を建て、環濠や、堀、やぐら
などを築いてまもり、司法や機織、農耕具や武器を作るといった機能分化が進みます。

これは、一人ひとりが、エゴむき出しで行動していては、成し遂げることは出来ない新たな日本人の挑戦。
あんな広大な環濠を掘ることは、1人の人間で成し遂げることは出来ない。
我々の先祖である弥生人は、自分自身が豊かに生きるためにエゴをすて王様を立て、
和をモットーとした。それは、働くとは、日本の今まで大切にしてきた労働観。


働くとは、傍を楽にすること。

他人のため働くことが、自分自身をも豊かにするということが、きっと今の
日本人のDNAに刻まれるているに違いない。


SA3C0123.jpg

この遺跡の高いやぐらを見つめながら、この40ヘクタールにも及ぶ
吉野ヶ里の集落を築こうと集まった5000人もの集落に住む人たちの
思いに心を馳せる。


「より豊かに暮らしたい。そのためには、皆で力を合わし、この村を守ろう」
と。そして、収穫を喜び、祭りで踊り狂う5000名の住人たち。
「いやあ、一生懸命働いたなあ、お前のおかげだありがとう。」
と仲間を認め合う5000名の住人の喚起の歌声が、聞こえてくる。

SA3C0122.jpg


そして、また、
巫女を中心に
自然に祈り、感謝し、種まきから、田植えの時期、収穫の時期を神様と共に
決定し、王様が、集落の首長に伝え国を動かしていくという自然と共に
生きる弥生人の一年のサイクルが始まる。





質問・お問合せ


コメント

コメントを送ってください




ログイン情報を記憶しますか?



トラックバック

このエントリーのトラックバックURL

/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/311