「人事を制する者は経営を制す」

地球のハローワークを読んで 


 『地球のハローワーク』という本を読んだので、ご紹介いたします。


世界中の国の人々が働いている様子が、
写真として収められている本です。


言葉を発することのない一枚一枚の写真から、
そこに生きる人々の物語が浮かび上がってきました。


20100113ワタミ社長 065.jpg


アフガ二スタンにて、休憩時間中に一服する炭鉱労働者~
顔も手もすべてすすで真っ黒で、
顔中に走る皺の部分だけすすがつかず肌色。

カメラを直視する眼が鋭く力強い。
彼の力はとこから湧いてくるのだろうか。

大切な家族、明日の夢、国を愛する気持ちだろうか。
 


イタリア・ベネツィアにて一日の仕事を終えたゴンドラの船頭~
船頭の背中からは安堵の吐息が伝わり、街も静かに呼吸しているようです。

夜が明け新しい朝がくれば、再び街へ繰り出し、
街中を走る血液の様に、ベネツィアを活気づけるのだろう。
 

あらゆる国々の300ほどの写真を通して強く感じたことは、
働くことと生きることは、とても近いということ。

働く様子の写真集であるが、力強く粗野に、
時に厳かに、「生きてやる」という響くような声が聞こえてきそうです。

また、働く人々のひとつひとつの物語が、
村をつくり、街をつくり、国をつくり、世界をつくっていることを感じました。

世界中の今日の仕事が明日をつくり、命をつないでるのです。


 
そのようなことを思うとき、立ち止らずにはいられない一枚の写真がありました。

パキスタン・シアルコットにて拳銃を組み立てる10歳前後の少年たちの写真です。
薄暗い土間の床に胡坐をかき、
睨み付けるように拳銃を見つめ、真剣に組み立てている。
写真からは、その拳銃が何のために使われるのか知ることはできないが、
少年たちは知っているのだろうか。
拳銃を睨み付ける少年たちの目は、どのような明日をみつめているのだろうか。
 

ふと、カンボジアで出会った小さな少女のことを思い出しました。
彼女は6歳の女の子で、
40ヘクタールほどのゴミの山の隣にあるスラムで暮らしており、
ごみの山が彼女の仕事場でした。
彼女の仕事はゴミの山から宝物(売れそうな物)を探すことだと言っており、
悪臭を発するゴミの山は、彼女にとってはまぎれもない宝の山です。

視界すべてがゴミに埋め尽くされ、悪臭で眩暈がするわたしの傍で、
彼女はエネルギーに満ち溢れ、瞳はキラキラと光っていました。

そこで、彼女の大切なものを絵に描いて欲しいとお願いすると、
彼女は白い画用紙に真っ赤な花を描いてくれました。

花など何処にも見えない暮らしの中で、彼女の心の中には、真っ赤な花が咲いていたのです。
 

今、日本には、ニートの増加、派遣社員という働き方、
就職難民、鬱病など、働くということについての課題がたくさんあります。

これらは、生きるということについての課題と同じであるように思うのです。

私たちの目は、どのような明日を見つめているだろうか。私たちの心に、花は咲いているだろうか。

『いつも何度でも』という歌の中に次の様な歌詞がある。

 「呼んでいる胸のどこか奥で いつも何度でも夢を描こう  
   かなしみの数をいいつくすより 同じくちびるでそっとうたおう」

私は、
誰もが元気に働けて、夢を描くことの出来る明日を目指して、
出来ることを精一杯やってみたいと思います。

それがわたしにとって、生きるということです。

『地球のハローワーク』という本は、そのようなことを決意させてくれる本でした。
世界とつながる明日のために。





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